行政書士のプロローグ & モノローグ

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毎日新聞(2008年1月23日)全文掲載

TBSドラマ「だいすき!!」 主人公は知的障害者、子育て問題正面から
2008年1月23日(水)15:18

 ◇特別じゃない、同じ母親

 画面の中で、若い女性が涙をポロポロ流しながら真剣に訴えている。「お母さんになりたいのに。なんでなれないの? なんで?」……「バカだから?」。知的障害のある女性の子育てをテーマにした連続ドラマ「だいすき!」(TBS系、木曜午後10時)が始まった。香里奈さん演じる主人公柚子(ゆず)が、さまざまな困難を乗り越えながら、娘ひまわりを愛し、懸命に育てる姿を描く。初回(17日)放送後の番組ホームページへのアクセス数が24時間で約150万件となるなど大きな反響を呼んでいる。なぜ今、障害者のドラマが私たちの心を打つのだろう。【中川紗矢子】

 ◇「私もがんばる」反響大きく/描かれ方、社会の価値観反映

 「だいすき!」のプロデューサー、山本和夫さん(52)を撮影現場の緑山スタジオ(横浜市)に訪ねた。山本さんがドラマ化を決めた理由は何だったのだろう?

 「今の社会は、次々に新しいものが出てきて、みんな必死で追い付き、適応しないといけないと思っている。僕は社会全体が魂をすり減らして適応障害を起こし、自分らしさ、人間らしさを失ってしまっていると思う。障害のある彼らは、そうしたものに適応できないかもしれない。でも、人間本来の感情を持っている。彼らの存在を見直し、生き方やひたむきな心に同化することで、私たちもカタルシス(浄化)に浸れるのではないか、と思ったからです」

 その意識は社会全体に向いている。

 「(原作の漫画を読んだ時)我々が直面している子育て問題を真っ正面からとらえていて、家族に障害者がいなくても、子育てという点で共感してもらえるのではないかと思ったんです。昔は地域で子育てしていたのが、今はたった一人の問題になってしまっている。けれど、このドラマでは、柚子たちを支えることが、周りの人たちにとって、かえって力をもらう支えになっている。そういう在り方の美しさをぜひ描いてみたいと思っています」

 ◆まず知ってもらうこと

 原作の漫画は女性向け漫画雑誌「BE・LOVE」(講談社)に05年3月から掲載中だ。これまで知的障害のある女性を主人公にした連載漫画はなかったという。

 「BE・LOVE」担当編集者の岩間秀和さん(37)は元々ジャーナリスト志望で、漫画の中にも社会的視点を入れようとしてきた。長女(9)と長男(4)の父親でもあり、子育ての大変さを実感しながら考えたという。「他の人たちは、どういう子育てをしているのだろう?」。そして、以前、知的障害のある女性の恋愛を扱ったドラマ「ピュア」(フジテレビ系)を見て感じていた「障害者が恋愛した後は、どうなるのだろう? それが結婚、出産と進んだとしたら?」という思いが、岩間さんを後押しした。

 取材を進めると、障害のある人が出産し、子育てしている現実があることが分かった。「でも、普通の人はみんな知らない。知らないと、たとえば隣に引っ越してきても周囲が対応できない。まずは知ってもらうことに絶対意義がある」と確信したという。

 漫画は、実際の取材を基本にしながら、温かく可愛い絵柄で漫画を描く愛本みずほさんが担当してくれた。大阪出身の愛本さんらしく、ギャグをちりばめた明るいストーリーができあがった。連載がスタートすると、読者アンケートで1位を獲得。読者に30代の子育て世代が多いこともあり、「励ましになる」「柚子もがんばるなら、私も」といった反響が多く寄せられた。

 岩間さんは「子育ては誰がやっても困難はある。柚子の場合はそれが障害だっただけ。誰でも助けは必要だ。特別視せず、障害者としてではなくて、一人の母親、女性ということに注目してもらえるとすごくうれしい」と話す。

 ◆清らかなもの求め

 障害者福祉の出版社勤務を経て、現在は行政書士として障害者の成年後見などをしている小林英樹さん(49)は、マイノリティーという視点で障害者ドラマを分析してきた。

 90年代に起きたブームは「バブルで踊らされた日本で、欲望世界の対極にある障害者の純粋無垢(むく)なイメージが、人々の共感を呼んだ」と見る。その後も途切れることなく障害者ドラマが作られていることについては「現在も日本の社会は経済至上主義、拝金主義で、バブル崩壊後と基本的には変わらない。だから、その反対にある清らかなもの、天使的なものが求められるのではないか」と話す。一方で、天使的なものとの表現方法は、時代の成熟とともに、徐々に現実に即してきているようだ。

 関係者に聞く限り、番組の作り手も、それを分析する側も一様に口にしたのは「障害者理解につながってほしい」ということだった。実際は、どうなのだろうか。

 メディアの社会的影響を専門にする東京女子大学教授の斉藤慎一さんは、「日常で直接接することがない人であればあるほど、視聴者に与える影響は大きい」と話し、だからこそ、「多くの人にとって日常的に接する機会が少ない障害者を描く際には、現実に即した形で表現することが重要だ」と指摘する。

 ドラマでの登場人物の描かれ方は、社会の価値観を反映しているという。斉藤さんによると、障害者への意識が低かった80年代以前は、ほとんど登場しないか、登場する場合でもかなり否定的に描かれていた。それが、93年に障害者基本法が制定されるなど障害者理解が進む流れの中で、障害者が登場するドラマが頻繁に制作されるようになった。

 必要以上に美化されるなど偏って描かれる問題点はあるものの悪く描かれることがなくなり、手話ブームで手話への違和感がなくなるなど、プラスの影響もあった。

 斉藤さんは「極端な表現で描かれる時期を経て、90年代には『障害者ドラマ』という言われ方が出てきた。流れとしての次のステップとして、今後は障害者ドラマとことさら言われることなく、『障害者が登場するドラマ』が当たり前になる時代が来るのでは」と語る。

 TBSによると、初回の放送終了後にホームページなどに寄せられた感想は「柚子がんばって」や「知的障害のある方たちのことが少し分かった」など、肯定的な応援メッセージが大半だったという。

 柚子の子育てを「障害者もの」としてではなく、「子育てもの」としてとらえることができる時代が、すぐそこに来ているのかもしれない。

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 ◇「夕刊特集ワイド」へご意見、ご感想を

t.yukan@mbx.mainichi.co.jp

ファクス03・3212・0279

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毎日新聞デビュー

1月23日毎日新聞・夕刊(特集ワイド・TBSドラマ「だいすき」)で、私のコメントが掲載されました。約10年前、福祉文化学会で私の書いた論文が、記者の中川さんの目にとまり、わざわざ取材のために私の事務所まで足を運んでくれました。

記事の内容は、下記で閲覧できます。

http://news.goo.ne.jp/article/mainichi/life/20080123dde012040036000c.html?fr=rk

また、私の書いた論文も、当ブログ左下より閲覧できます(障害者ドラマ、あるいはマイノリティの視点)。

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ノーマライゼーションについて

一昨年、私は成年後見基礎研修を受講した。その中で、成年後見制度の背景にある理念として、①自己決定の尊重、②残存能力の活用、③ノーマライゼーション、が挙げられていることを知り、感慨深い思いに駆られた。これらの言葉にはどれも懐かしい響きがあり、 とりわけ「ノーマライゼーション」には深い愛着があった。
私は、20年近く障害児教育・福祉分野の出版社に勤め、行政書士の資格取得後、第二の人生に転進した。この会社では、1980年代初め、『ノーマリゼーション』という本を刊行しており、書名が「ノーマライ」でなく「ノーマリ」と表記されていることからも、この言葉がまだ人口に膾炙していなかったことがうかがえる。1981年の国際障害者年を契機に、この言葉は徐々に浸透していく。
 ノーマライゼーションの思想は、1950年代デンマークのバンク・ミケルセンによって提唱され、スウェーデンのベンクト・ニルエによって広められ、前述の『ノーマリゼーション』の著者、アメリカのウルフェンスバーガーによって集大成されたと言われている。また、ウィキペディア(ユーザーの集合知によって編纂されているインターネット上の百科事典)によれば、ノーマライゼーションの原理の具体的な表現型として 「ADA(障害をもつアメリカ人法)」が挙げられている。私の編集者生活の中で、最も思い出深い仕事が、『ADA(障害をもつアメリカ人法)の衝撃』(八代英太・冨安芳和編)だったのである。
 北欧に端を発したノーマライゼーションが北米で完成されたことには重要な意義がある。すなわち、ウルフェンスバーガーによってこの思想は、素朴な理念の表明から膨大な具体的行動目標へと発展を遂げたからである。これは、アメリカ・プラグマティズムの面目躍如たるところであろうが、同時に、阿部謹也が『西洋中世の罪と罰』で描いた、人間のあらゆる行動を天国に至るためにという観点から評価する、伝統的世界観が見え隠れしないこともない。
 わが国でもノーマライゼーションは普及したが、北米での発展型が受容されたかと言えば、けしてそうではない。端的な例を挙げよう。
私が大学生だった1970年代後半、障害福祉分野を二分する大論争があった。それは、養護学校義務化問題である。推進派は、未就学児をなくし発達を保障するため義務化が必要であると説き、反対派は、隔離教育によって差別が助長されると訴えた。当時、障害者施設に行くと、両派の職員が反目し合い、緊迫した空気が漂っていたものだった。結局、1979年養護学校義務化は実現するが、問題はその後だ。先ほど述べたように、1980年代初め頃から、ノーマライゼーションが徐々に知られるようになってくるが、この時、対立していた両派が、共にこの思想に飛びつき、称揚しだしたのだ。私は、このことに対して強い違和感を覚えていた。すなわち、日本的文脈において、ノーマライゼーションは、養護学校義務化というきわめて具体的な問題に対して、白黒はっきりさせることができなかったからである。
 大熊由紀子氏(元朝日新聞論説委員)によれば、ノーマライゼーションとは「普通になる」ということである。裏を返せば、障害をもつ人々を取り巻く環境には、アブノーマルな(普通でない)側面が多々あるということに他ならない。先程のADA(障害をもつアメリカ人法)は、障害者差別撤廃の目標となる分野として、①雇用、②建築、③交通、コミュニケーション、の四つを挙げている。わが国では、三〇年前と比較して、交通アクセスの面では飛躍的に向上したが、その他の分野では果たしてどうだろうか。
しかし、あの頃に比べると、福祉という言葉がずいぶんビッグワードになったような気がする。それは、彼らを取り巻く環境がノーマライズされたからというよりは、介護保険制度によりこの分野に金が落ちるようになり、介護ビジネスが巨大産業化したからではなかろうか。
ノーマライゼーションを単なる美辞麗句に終らさぬよう、関係者の今後の努力が望まれる一方、我々行政書士もその一翼を担っていかなければならぬと、切に思う。

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