行政書士のプロローグ & モノローグ

法律、経済、文化、福祉、雑談etc. 

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韓流ブームが来ても恨が消えないワケ

 以前「後見文化論」で、後見文化が日本独自のものであるというようなことを書いたが、それが勇み足だったことに早くも気づかされてしまった。すなわち、角田房子著「閔姫暗殺-朝鮮王朝末期の国母-」(新潮文庫)の中に、韓国には、日本よりもっと凄まじい後見制があったことが記されていたからだ。
 李氏朝鮮王朝時代に、韓国版摂関政治ともいうべき勢道(セド)政治が横行し、家臣の金氏一族による権限の逸脱・濫用が目に余った。韓国の場合、王をないがしろにするだけではなく、王家の一族たちに対する虐待まで行われていた。例えば、1849年に19歳で即位した25代王哲宗は、王位につくまでは極貧生活を余儀なくされ、ろくな教育も与えられず、毎日漁夫の子どもたちといっしょに遊んでいた。そのため、新王を迎える正使から書状が差し出されたとき、「余は書中の文字を解し得ない」と答えたという。文字が読めなければ、当然政務を司ることはできず、王哲宗は生涯ロボット的存在であり続けた。
 韓国と言えば、政権が交代すると前政権の大統領が逮捕されるということが知られているが、やはりやることが半端でなく、それは後見制度にも及んでいたのだ。

 ところで、この本には、日韓史にまつわる重要な事柄が書かれてあったので、ブログのテーマからは少しはずれるが、あえて紹介させていただきたい。
 まず、この本のタイトルである閔姫(ミンピ)は日本では知る人はほとんどいないが、副題にもあるように、朝鮮王朝末期の王妃である。
 閔姫は、韓国では悲劇のヒロインとして老若男女知らぬ人はないほど有名な女性である。王以上に権力を振るったという点では、ほぼ同時代の清の西太后と似かよっていると言えるかもしれない。しかも、日本人によって殺害されたというのだから、無関心ではいられない。ところが、この事件は日本ではほとんど知られていないため、今も、韓国のバスガイドは、観光コースで閔姫ゆかりの地を通っても、日本人観光客にはあえてこの話を紹介しないということだ。
 詳細は同書を読んでもらうとして、閔妃暗殺事件は1895年に起きており、これは日清戦争の直後のことである。そのため、この本では、日清戦争についても詳しく触れている。ここではその概略についてだけ、紹介する。
 1894年、朝鮮で農民反乱(東学党の乱、甲午農民戦争)が起こり、その鎮圧に手を焼いた朝鮮政府は、宗主国である清に援軍を頼んだ。この時、日本は要請を受けていないにもかかわらず、居留民保護という名目から約3000人もの軍隊を送り込んだ。ちなみ、居留民保護のためなら、その10分の1程度の派兵でも十分であった。
 反乱軍も外国の干渉に危惧を抱き、和解に応じてきたので、本来ならこの時点で、日本軍は撤兵すべきであった。しかし、3000人もの兵を送って手ぶらで帰ってくるわけにも行かないため、朝鮮政府に対して難癖をつけた。すなわち、朝鮮は独立国であるのに、清の属国であることは隣国としても看過しておくことはできず、内政改革が必要であると……。そして、日本軍は王宮を占領し、閔妃一派を追放し、閔妃と対立する大院君を復権させ、親日政権を樹立させた。当然のことながら、これに対して清国は猛烈に反発し、その結果両国の対立は深まり、開戦となる。
 まさに謀略という他ないが、その首謀者は、当時外務大臣であった陸奥宗光である。ちなみに、首相の伊藤博文は、この戦争に対して消極的であったという。陸奥は、1929年に公開された機密文書(「蹇々録」)の中で、清国がどのように対応してきても開戦に導けるように策を練ったと述べている。

 私は不勉強のため初めて聞く話だったので、少なからず衝撃を受けた。しかしこの戦争の経緯については、閔妃事件と異なり、すでに多くの人の知るところであろう。ちなみに、私の手元にある「早わかり日本近現代史」(河合敦、日本実業出版社)の見開き2ページの「日清戦争」という項目では、「すべてが強引だったアジアへの進出」というサブタイトルがつき、ほぼ同様のことが無造作に淡々と記述されている。たまたま先日、NHK教育テレビの高校生向け歴史講座で「日清戦争」が放送されたので、早速見てみると、講師が戦争の経緯についてふれた後、アシスタントの女性が、「ちょっと強引ですね」、「そうやって(明治政府は)正当化していたんですね」などという短いコメントを入れていた。
 前掲書も、NHKの番組も、「侵略」という言葉は使わず、「強引」という一言でまとめている。要するにわが国の歴史では、先述の明治政府の取った行動は、「強引」といった程度の取り扱いなのである。しかし、これではちょっと軽すぎるのではないかという印象をどうしても拭いえない。
 陸奥宗光は元紀州藩士だが、彼のとった行動は、およそ武士道とはほど遠い、強いて言えば、ヤクザのそれに近いのではないか。例えば、サラ金の取立に悩んでいる者が、ヤクザ者に相談したら、若い衆を4、5人連れてきて、取立屋を追っ払ってくれたはいいけど、その後、御礼として2000万円を要求され、それが払えなかったら、不動産を全部取り上げてしまう、といった類の手口とよく似ている。日清戦争の場合、頼みもしないのにやってきたのだから、たちとしてはかなり悪い。
 ちなみに、当時の民衆は、朝鮮を守るために悪い清国をやっつけた正義の戦であると信じて、国内は大いに湧き上がった。これはもちろん新聞による情報操作がなされた結果であるが、福沢諭吉ら知識人も、この戦争の目的の正当性を評価し、不義の戦争として異を唱えたのは勝海舟一人であった。

 司馬史観(日清・日露戦争は美化し、太平洋戦争は否定するという歴史観)というのがある。司馬遼太郎は、太平洋戦争末期、栃木県佐野で、戦車上の軍人が、逆方向に向かう民間人に対して「轢っ殺して行け」と叫んでいるところを目撃し、激しい怒りを感じ、それが彼の原体験となっている。
「日本人はいつからこんなにバカになったのだろう。しかし、もっと以前にはもっと立派な日本人がいたではないか。私の作品は、この時の自分に対する未来からの手紙である」。
 そして、この視点によれば、日清戦争は肯定的に描かれることとなる。
「アジア最大の国家という強者に対し、弱者だと思いこんでいる日本がいどみかかっている。日本人のほとんどは、どう考えても自分たちにかちめはないとおもっていた。血相を変えてとびかかってみたところが、連戦連勝で勝ってしまっていることにすっかり度をうしない、有史以来かつてない国民的高揚というものを日本人たちは体験した」(「坂の上の雲」)
 ところで、我々の多くは、司馬遼太郎の小説を読む読まないに関わらず、多かれ少なかれ司馬史観的な見方をしているのではなかろうか。私自身、物心ついた時から、太平洋戦争については否定的な見方をしてきたが、日清・日露戦争については無知ゆえに、さほど悪い印象はもってこなかった。
 司馬遼太郎が明治時代の日本人の偉業を見出したのとは若干異なるが、太平洋戦争に比べ日清・日露戦争の方を相対的に評価するという点では、多くの日本人が一致した見解を共有しているのではないかと思う。
 しかし、日清戦争が、それに引き続く日露戦争、満州事変、日中戦争、太平洋戦争と、大いなる破滅への導火線となったことに思いを致せば、このような「史観」を手放しに認めてよいものか、はなはだ気になるところである。

 ところで、日本と中国・韓国との間の歴史認識の問題が、いまだに火種となっている。そして、多くの日本人は、戦後60年以上経っているのにしつこいとか、中国・韓国は政治的駆け引きに利用しているなどと思っている。
 しかし、閔妃暗殺事件一つとっても、我々に振り返ってみれば、それは皇后が暗殺されたことと等しい重要さをもっているのである。朝鮮王朝は我々にとっての天皇制と同じであり、わが国でも評判となったドラマ「チャングムの誓い」を見れば、いまだに大衆の中にこの王朝に対する敬慕の念が残っていることがうかがえる。
 ここに、日本で刊行されている韓国の教科書がある(「わかりやすい韓国の歴史―国定韓国小学校社会科教科書―」 明石書店)。それをひもとくと、日本に関連する部分のみを抜粋したのではないかと思われるほど、わが国の存在が随所に暗い影を落としており、恨みつらみの記述で溢れている。それらを読んでいくと、腹が立つと言うよりは、むしろ痛々しい感じがしてしまうのである。恨(ハン)の思想は、あたかも日本との関係において生まれたのではないかと思われるほどである。
 国家間の問題と個人間の問題を同一に語るのは適切さを欠くかもしれないが、歴史認識は裁判の事実認定に相当するのではないだろうか。加害者が事実認定について認めなければ反省の情なしとみなされ、したがって被害者感情も慰藉されない。戦争の場合の事実認定は、単に一世代、一部の権力者に対してなされればよいというものではなく、やはり世代を越えて語られていくべきものであろう。そして、両国の教科書の内容が、少なくとも事実認定の部分については、少しでも近づいていけるようにすることが望ましいのである。

 日清戦争は、日露戦争に比べ、小説化や映画化された作品が少なく、近現代史のエアポケットと言っても過言ではない。司馬遼太郎にしても、日露戦争に関しては「坂の上の雲」という大著があるが、日清戦争に関しては小説を書いていないようである(豊臣秀吉の朝鮮侵略・壬辰倭乱については「故郷忘じがたく候」がある)。
 私が調べたかぎりでは、日清戦争について扱った小説は、陳舜臣の「江は流れず」があるぐらいである。日露戦争は祖国防衛戦争という見方もできるが、日清戦争は、先述したような正当化しづらい面があるため、小説にはなりにくいのであろう。
 まず手はじめに、「江は流れず」でも読んで、この戦の意味について、じっくり考えてみたいと思う。

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がんばれ! 井上薫先生

 井上薫元裁判官の「司法のしゃべりすぎ」(新潮新書)と「狂った裁判官」(幻冬舎新書)を読んだ。
 ちなみに、「司法のしゃべりすぎ」は、現役判事の頃の著作であり、「狂った裁判官」はそこをクビになってからの著書である。クビになった原因は、前著の中で主張した蛇足判決理論を現実の裁判の中で適用した結果であった。
 蛇足判決理論とは、判決の理由に、主文とは関係ない余計なことは一切書くべきではない、というものだ。日本の裁判では、殆どの場合、判決理由に、主文とは直接関係ないことが長々と書かれている。しかし、これを書くためには多大な労力と、そのための調査に多くの時間が費やされる。それによって裁判が長期化してしまうことも多々あり、これは税金の無駄遣いではないか、というのが井上の主張である。
 井上は、東大の理学部出身という変わった経歴の持ち主で、蛇足判決理論も、要するに、裁判の記述方法を科学のそれに近づけようという発想から生まれたものではないか。そういえば、科学哲学に、エルンスト・マッハの思惟経済というのがあるが、蛇足判決理論はそれと非常によく似ている。
 正直言って、蛇足判決理論にはあまり賛成できない。やはり科学と法律はイコールではないし、長い判決の理由にも、被害者感情を慰藉したり、社会的影響に配慮したりという、それなりの意味があるのではないか。だからこそ、自然とこういった習慣が生まれ、長い間それが続いてきたのであろう。人間同士の争いの背後には、非合理的感情が渦巻いており、それゆえ、その紛争を解決する手段においても、合理性だけでわりきれない面があってもよいのではないだろうか。
 しかし、だからといって、井上のように自分の信念を貫こうとする変り種判事が、一人ぐらいいてもいいと思う。それが、「もっと長い理由を書け」という上司の指示に従わなかったことにより、事実上の解雇(判事再任は無理だという告知)を言い渡されるというのは、やはりおかしい。井上の言うようにそれは、憲法で保障されている裁判官の独立性を侵害するものであり、許されない行為だと思う。
 井上はよっぽど頭に来たと見え、自分をクビにした上司、横浜地方裁判所所長を実名(浅生重機)で記している。
 「狂った裁判官」は、その怒りが爆発している真っ最中に執筆されたものなので、なかなか興味深い。要するに、裁判官の独立性などと言うものは絵に描いた餅であり、判事という人種は人事評価ばかり気にしている小心翼翼たる連中である。彼らは、ずっとエリートコースを歩んできたので、低い評価を下されることに慣れていない。だから、有罪率99.9パーセントと言われる刑事裁判において、無罪判決を下すことに対して非常に臆病になりがちなのである。なぜなら、もし上級審でその判決が覆ったときには、無罪判決をした裁判官の評価が下がるからである。また、裁判所では、海外旅行が許されないといった驚くべきエピソードも紹介されている。
 こういった話は、先日、テレビで放映された映画「それでもボクはやってない」(周防正行監督)の内容ともぴったり一致する。
 以前、山口宏(弁護士)著作(恐らく「裁判の秘密」 宝島社)でも、裁判官に関する似たような話が紹介されていた。さらに判事は、大半の時間を書面の中で過ごしているため、リアルな経験に乏しく、そのため裁判官出身の作家がほとんどいないというのだ。唯一の例外が「家畜人ヤプー」の沼正三(高等裁判所判事)だという指摘もなかなか面白い。

 「それでもボクはやってない」、山口宏、井上らの発言は、ほぼ符合するので、私の裁判官に対する心証は、これでほぼ確定してしまった感がある。いずれにせよ、今まで、厚いベールの中で、皆目分からなかった人々の生態が白日の下にさらされることは小気味よく、また、透明性が重視される折から、このような著作は評価されて良いのではないか。

 しかし、「狂った裁判官」の中では、このようなブチ切れ告発だけはなく、大変重要な指摘も行われている。
 それは、今日の裁判において常識となっている、判例主義に対する根本的疑問である。裁判官は法令に従わなければならないが、判例に従わなければならないなどいうことは、どこにも書かれていない。そして、このような判例偏重の裁判のあり方が、前例踏襲の弊害をもたらし、それによって裁判官が自分の頭で考えなくなった、という指摘だ。これは、非常に傾聴に値する意見であり、ホントウに目の覚める思いがした。

 ブチ切れ告発本では、以前読んだ野田敬生の「お笑い公安調査庁」(現代書館)も面白かった。これらの著書には、多少下品な面もあるが、城山三郎も経済小説の重要な使命として、内部告発を挙げている。
 井上薫先生の今後の活躍に期待したい。

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天よ、ダイスケを守り給え!

 松坂大輔ではない。私が、ずっと気になっていたのは、守大助である。
 2001年に起こった、仙台市の北陵クリニック筋弛緩剤点滴混入事件は、約10人を殺害した凶悪事件としてマスコミにも大きく取り上げられ、当時準看護師だった守大助氏(29)が、この事件の容疑者として逮捕された。
 その後、テレビ朝日の「スクープ」が、この時の捜査がまったくのデダラメであり、事件そのものが存在しない「幻の事件」であったことを、精緻な取材によって明らかにしている。その具体的な内容については、インターネット上で閲覧できると思うので、ご存知でない方は是非確かめて頂きたい。
 昨年の鹿児島県の選挙違反事件や周防正行監督の映画「それでもボクはやってない」など、冤罪事件への社会的関心が高まってきているので、当然この事件も、無罪判決が下りるものとばかり思っていた。
 ところが、2月25日、最高裁が上告を棄却し、1、2審の無期懲役判決が確定したというのだ。
この事件は、犯行の目撃者もなく、自白を有力な証拠とする典型的な冤罪事件である(物的証拠はあるが、鑑定結果には疑問がある)。長期間の強度の緊張を強いられる取調べの中では、自白が客観的証拠となりえないことは、先の事件でも明らかになったはずではないか。にもかかわらず、「筋弛緩剤を投与したことによる犯行との認定に誤りはない」などという馬鹿げた判決がよく下せたものだと思う。
 最高裁判所の判事は、もう一度憲法の次の条文をよく噛みしめて欲しい。
「何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、また刑罰を科せられない」(憲法38条3項)
 そしてもう一つ、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の原則も……

 自白を唯一の証拠とすることが何故問題なのか。これを解き明かしてくれる画期的名著がある。それは、
浜田寿美男「自白の心理学」(岩波新書)
である。
 被告人がなぜ自白してしまうのか。これについては、鹿児島の事件のように、孫の名前に踏み絵をさせるような強引な捜査の実態が明らかになってきたので、比較的理解しやすいであろう。
 問題はむしろ、無実の被告人から、やってもいない事件に関する膨大な自白調書をなぜ取ることができるのか、という点である。
 この点について、浜田は、「共同作話」という仮説によって、この問題を見事に解き明かしている。
 すなわち、取調室においては、早く解放されたい被告人と早く事件を解決したい取調官の利害は一致しており、共通の利害をもつ二人が嘘の物語を互いに協力し合いながら創作し、詳細な自白調書が作りあげられていく、というのである。
 しかし、無実の被告人の自白調書には「無知の暴露」が必ず存在し、真犯人の自白調書には「秘密の暴露」が存在するので、二人のやりとりを録音したテープさえあれば、任意の自白かどうかの区別は必ずつくと、浜田は指摘する。
 現在、裁判員制度をめぐって、ビデオ録画やテープ録音による「取調の可視化」の問題が注目を浴びているが、もしこれが実現すれば、冤罪事件の多くはなくなるということだ。

 浜田は、甲山事件などに実践的にも深くかかわってきたが、彼にはもう一つの顔がある。それは発達心理学者としての顔であり、特にアンリ・ワロン(1879~1962、フランス)の研究では第一人者である。ワロンは、ピアジェのような個人主義的心理学とは対極にある、関係性を重視した理論家で、障害児教育分野にも多大の影響を与えている。私はかつてその分野の出版社に勤めていたので、氏に直接お会いし話を聞いたことがある。すでに売れっ子だった氏の本の企画こそ実現できなかったが、甲山事件の話も直接うかがえ、貴重な経験となった。
 浜田のユニークなのは、自分自身がかかわってきた二つの分野を結びつけ、統一的に論じたという点にある。
 ワロンは発達における関係性を重視した学者であるが、人間の最も原初的なかかわりは、母子関係にある。母子関係はある意味、母と子が共同して一つの物語を作り上げていくことに他ならず、これは共同作話に似ていないかと浜田は指摘する。すなわち、共同作話は、取調室の閉じた世界における特殊な出来事ではなく、人間の普遍的な営みの一つであると、彼は考えるのである。

 ところで、私が、冤罪や浜田の共同作話の理論に強く引き込まれるのには理由がある。それは、私自身に同種の体験があるということである。幸い前科こそないが、今でもそれは、私にとってトラウマとなっている。
 小学校2年の時、私のクラスの担任は、美しい美術教師であった。
彼女が教える図工の時間、ある事件が起こった。それは授業で用いた粘土が、手洗い場の排水溝を詰まらせ、シンクがあふれるほど水が溜ってしまったのだ。
 その時、何故か私が犯人にされてしまい、目撃者まで何人か現れた。そして、私は、その教師に呼び出され、詰問された。しかし身に覚えはないので、私は潔白を主張した。しかし教師の口から、驚くべき言葉が飛び出した。
「だって、みんながそう言っているじゃない」
 結局私は、排水溝を詰まらせた犯人と言うことになり、教師から頬をたたかれた。そして、他のクラスの担任のところに行って、迷惑をかけたことを詫びるように、と言い渡されたのである。
 それ以来、大好きだった担任のことが、嫌いになってしまったことは言うまでもない。
 その時のことを再び振り返ってみると、教師に叱られているうちに、途中から次第に、実際に自分が粘土を排水溝に詰めたような気分になっていったことが思いだされるのだ。すなわち、無意識のうちに粘土を詰めてしまったのだ、と自分自身に無理矢理納得させようとしていたのだ。
「自白の心理学」の中には、これと全く同じことが、追い込まれた被告人の心理状態として描かれている。

 当時私は小学校2年生であり、民法上の意思能力をようやく獲得した程度の判断力しかもちあわせていなかった。そして、このような意識レベルの状態だと、簡単に自白してしまい、さらにその犯行を自分がやったと思いこんでしまうことが、この時の経験からも推測される。
 ゆえに、もし判断能力が不十分な人が、冤罪事件に巻き込まれたとしたらひとたまりもなく、容易に犯人に仕立てられてしまうであろうことは、想像に難くない。
 しかし、未成年や心神喪失と心神耗弱の人の場合、刑事上の責任能力をもたず、したがって冤罪事件にも巻き込まれない、と一般には考えられている。しかし、このような常識はもはや通用しないということを思い知らされる事件が、つい最近起こった。

 2004年、吉田清さん(56)が、二つの強盗事件で逮捕・起訴された。吉田さんは宇都宮市に住む重度の知的障害者であったが、刑事上の責任能力がないことは全く考慮に入れられず、それどころか、取調官が吉田さんの手を勝手に動かし、虚偽の自白調書を書かせられてしまったのである。
 その後、真犯人が見つかり、吉田さんの無罪は確定した。そのため吉田さんは、精神的苦痛を受けたとして、国と栃木県に対して国家賠償請求訴訟を起こした。
 2月28日、宇都宮地裁は、国と県に対して100万円の支払いを命じる判決を言いわたした。判決では、「警察官が知的障害者の迎合的特性を利用し、被害者供述に合致した虚偽の自白調書を作成した」ことが認定され、原告の主張がほぼ受け入れられた。

 この事件は、新聞等でそれほど大きくは取り上げられていない。しかし、他の冤罪事件とは質的に全く異なる、きわめて悪質な権力犯罪とは言えないだろうか。
 「自白の心理学」の中で浜田が取り上げた事例では、取調官自身も被告人が犯人だと信じており、厳しい取調べを行なったのは、仕事熱心さのゆえか、あるいは正義の実現のためという思いが働いていたのかもしれない。しかし、本件では、取調官は吉田さんの無罪を知りつつ、知的障害者の弱点を利用して、罪をなすりつけて事件を終結させようとしたのではないか。判決文も、そのことを認めているように見える。ならば、取調べにかかわった警察官の罪は問われないのであろうか。もしこのように重大な権力犯罪が不問に付されるとしたら、このような行為が常態化しているほど、警察組織が腐りきっていることを、自ら認めたことになりはしないか。
 前前回、「星野監督、それは氷山の一角です」の中で、悪徳経営者が知的障害者を利用し、食い物にしていた事例を取り上げたが、警察もまた同じようなことをやっていたのである。
 本件ではたまたま、真犯人がみつかったからよいようなものの、犯人が見つかって無罪が確定するのはきわめてレアケースだと言われている。だとすれば、知的障害者が嘘の供述書を書かされ、有罪が確定してしまった事件が他にもあるのではないだろうか。
 浜田は、冤罪はけして珍しい事件ではなく、年間恐らく数百件は起こっているだろう、と推測している。非常に大雑把な数字だが、調査が行われていないため、正確な実態が把握できないのだそうだ。これもまた、驚くべきことである。
 冤罪の闇は、今も深く広がっている。

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