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実感民法・不法行為

 民法は、トラブル解決の方法について定めた法律である。その解決法はほとんどがお金であり、唯一の例外が名誉棄損の謝罪広告のみである(民法723条)。名誉棄損だけは、さすがに金銭だけでは解決し得ないと考えられたわけだ。しかし、これ以外はすべてお金で決着をつけようとする。地獄の沙汰も金次第、札びらで頬を叩く、まさにそんな世界である。
 そして、このように金銭で解決することを、「損害賠償」という。損害賠償の原因は、大きく分けて二つある。一つは、「債務不履行」である。要するにこれは、契約違反のことであり、「約束は守れよ」、「借りた金は返せよ」という話だ。そして、もう一つが、ここで取り上げる「不法行為」である。
 まず、条文から眺めてみよう。

民法709条
 故意または過失によって他人の権利又は法律上保護される権利を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。

「えっ、たったこれだけ?」と感じる人が多いと思うが、実際これだけなのである。不法行為は、喧嘩、交通事故、医療過誤など様々なトラブルに関係し、事件数も膨大な数に及ぶはずであるが、それがこのようにたった一言の、しかも抽象的な文言によって定義されている。だから初学者にとっては、非常にわかりにくい。
 まず、「不法」という言葉がわかりずらい。違法とどこが違うのか? 「不法」というからには、何かの法律に抵触したのだろうが、その法律がわからない。不法行為の代表的なものは交通事故だが、信号や標識を守らなければならないという法律はあっても、交通事故そのものを起してならないという法律は存在しない。もしそんな法律があったとしても、事故は起こるときには起きてしまうものだから、詮無いことである。不倫と比較すれば、不倫は、既婚者は浮気をしてはならないという道徳律に反する行為であるので、その意味は明快である。英語では、不法行為はwrongful act、つまり「悪い行為」だが、この方がわかりやすい。「権利を侵害した」をそのまま持ってくれば加害行為となり、さらにわかりやすくなると思われるのだが、なぜそうしないのか理解に苦しむ。
「権利を侵害した」とは、人を、精神的、肉体的、または財産的に傷つけたということを意味するのであろう。ただ上記のように、具体的にどのように傷つけた時に、不法行為と認定されるかについての条文はなく、漠然と抽象的に述べられているだけである。だから、不法行為と認定される可能性の範囲はかなり広いだろう、ということが推測される。
 債務不履行の場合、当事者同士の関係は、債権者と債務者である。つまり、「金返せ」と言う側と返さなければならない側である。しかし、不法行為の場合、最初トラブルが起きた時は、被害者と加害者という形で立ち現れるが、裁判になる過程で、被害者・原告・債権者 VS 加害者・被告・債務者という関係に変わっていく。
 この条文を見て、「刑法上の罰はないの?」と思う人も多いだろう。もちろん、不法行為の一部は刑事事件になっていく。不法行為という網によってすくい上げられた事件がふるいにかけられ、残った一部が刑事事件になるのである。刑法は犯罪のカタログであり、刑事事件になるためには、その中のどれかに当てはまらなければならない。
 それでは、典型的な不法行為の一つである交通事故の例で考えてみよう。交通事故における死亡事故の年間数は約5000件である。もしドライバーが人をはねてしまい、不幸にもその人がなくなってしまったとする。しかし、通常の場合それは民事事件であり、年間5000件もある死亡事故の一つにすぎず、それに対していちいち警察は刑事事件としては関与しない。
 しかし、この時もしドライバーが飲酒運転していたらどうであろう。この行為は、危険運転致死傷罪として犯罪のカタログである刑法に明記されているので(刑法208条の2)、刑事事件となる。さらに、もしこのドライバーが亡くなった人に恨みを抱いており、故意にひき殺したとしたらどうであろう。これは、殺人罪(刑法199条)という重大犯罪として取り扱われることになる。
 このように民事上の不法行為のうちで、悪質性の高い一部の事件だけが刑事罰の対象となるのだ。
 しかし、罰として刑事罰の方が損害賠償より重いとは、必ずしも言えない。先の危険運転致死傷罪で人をあやまって怪我させてしまい、実刑判決を受け、2、3年で交通刑務所から帰ってきたとき、1億円以上の損害賠償請求が待っていたとしたらどうであろう。この場合、刑事罰の方が損害賠償より重いとは言えないのではないか。
 不法行為による損害賠償の目的は、あくまで被害者救済である。しかし、加害者に資産がない場合は、裁判で勝訴しても、所詮絵に描いた餅に終わってしまう。交通事故の場合、こういった事態にならないようにするため、自賠責保険がある。しかし、それ以外のケースについては、保険制度がまだ十分ではないので、実際にどのくらい支払われているのかはわからない。ゆえに、被害者救済のために、国家がもっと手を差し伸べるべきだという議論もある。
 また、損害賠償を金銭賠償のみとし、謝罪とかいった他の要素をすべて切り捨ててしまったことが、果たして本当に合理的で正しかったのか、といった問題もある。不法行為の例として交通事故を挙げたが、遡って考えてみれば、一番普遍的なものは喧嘩であろう。その結果、人が精神的・肉体的に傷つけられたり、財産が奪われたり、物が壊されたりする。伝統的社会においては、喧嘩が起きた場合、村の長老が間に割って入って、手打ちをさせていた。日本では、鎌倉時代から、喧嘩両成敗という考え方が広がっていくが、これは復讐法を否定する合理的な方法であると、最近では再評価されている。人が人を傷つけた場合、単なる損害賠償よりも、伝統的社会において行われていた方法の方が有効なケースは多々あろう。そして、現実の裁判や調停においても、喧嘩両成敗的な手法が用いられることがばしばあるのではないか。日本で和解判決が多いのは、喧嘩両成敗の影響ではないかと私は疑っている。
 最近、裁判外紛争処理としてADRが着目され、平成16年にはADR法が成立した。ADRでは、紛争処理に際して、当事者同士の話し合いや心理的プロセスが重視される。実はこれは先祖がえりではないのか、と密かに思っているのである。




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